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幻のF1エンジン、いすゞ製P799WEの背景

2014.12.26

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 先日公開した、いすゞ製F1エンジン搭載のロータス102C走行映像。このテストが行われたのは、1991年8月のことだ。当時の日本はF1ブームの真っ最中。マクラーレン・ホンダには少年漫画誌のロゴが貼られ、その他のチームにもアパレルメーカー、運送業、家電メーカー、タバコブランド……などなど、多くの日本企業がスポンサードをしていた時代だった。

【独占動画】幻のいすゞF1走行映像

 そんな中、ひっそりとテストされたのが、今回映像の存在が明らかになった、いすゞ製のF1エンジン、P799WEである。開発者によれば、“いすゞの技術力を確認するため”だけに作られたというP799WE。当初は実際に走行させる計画もなく、テストベンチでのみ火が入れられる予定だったそうだ。しかし、想像以上に高い性能を記録したために、実際にF1マシンに載せ、シルバーストンを走ることになったそうだ。今では考えられないような話だが、当時、レーシング・エンジンの製作が可能だったほとんどのメーカーは、このような“試験開発”を行っていたという。

 このいすゞP799WEはロータス102の改造版シャシーに載せられ、ジョニー・ハーバートがステアリングを握り、8月6日と7日にテスト走行が敢行された。このテストはF1への参戦を目指したものではなく、あくまで“性能確認”が目的だったため、エンジンマウントなどは暫定搭載仕様になっていた部分も多々あったようだ。それでも、同日同所でテストしていたアイルトン・セナが駆るマクラーレン・ホンダや、マウリシオ・グージェルミンのレイトンハウスから、5〜6秒落ちのペースで走行することができたというから驚きだ。最高速にいたってはレイトンハウスのそれを凌ぎ、マクラーレン・ホンダと比較しても大きく劣ることはなかった。走行映像を見てもエンジン音は綺麗に吹き上がっており、「実際にF1を戦っていれば……もったいない」と、感じられた方も多いだろう。

 ちなみにいすゞP799WEが搭載されたロータスのシャシーは、1991年シーズンに参戦していたロータス102Bを改良したもの。当時のロータスは資金不足に喘いでおり、1991年シーズン用に新しいシャシーを用意できなかった。そのため、前年のシャシーを改造して生まれたのがこの102Bなのだ。


 今のF1では考えられないが、この102シリーズは2年半にもわたって実戦で使用された。1990年にデビューし、1991年が102B、そして1992年の前半は102Dが走っている。なぜ1992年のマシンが102Cではなく、102Dなのかと言えば、いすゞエンジンを搭載して走ったマシンこそが102Cだったから。つまり、102シリーズの中で唯一、実戦デビューしていないのが、この102Cだったのである。

 ロータス102シリーズの息の長さは、同時期に長く使われたティレル020シリーズ(1991年〜1993年、後年にはブリヂストンのF1タイヤ開発用としても使用された)に匹敵する。余談だが、1993年のオフに初めてティレル020Cに乗った片山右京が最初に搭乗する際に取り付けられていたシートの裏には、「NAKAJIMA」と書いてあったとか。つまり、片山右京は中嶋悟が乗ったのと同一個体のマシンで、F1を戦っていたのだ。

 話を元に戻そう。

 もうひとつ、このロータス102がすごいのは、搭載したエンジンのバリエーションだ。ティレル020の場合、サイズの違いはあれ、ホンダ→イルモア→ヤマハと全てV10レイアウトだった。しかしロータス102の場合は、ランボルギーニ(V12)→ジャッド(V8)→いすゞ(V12)→フォードHB(V8)と、V8とV12の間を行ったり来たりしている。エンジンマウント・レイアウトの許容範囲が広いうえに、まずまずの戦闘力を発揮したロータス102はある意味、名車と言えるかもしれない。

 なお、1990年代前半は、いすゞ以外にも多くの日本製F1エンジンが存在していた時代でもあった。


 ホンダ製のエンジンはマクラーレン(1988〜1992)やウイリアムズ(1983〜1987)のマシンに搭載され、F1界を席巻。1986年〜1991年まで、なんと6年連続でコンストラクターズタイトルの獲得に貢献している。2014年のメルセデス製エンジンの強さは記憶に新しいが、これほど長くにわたって強さを発揮したエンジンは、ミハエル・シューマッハーを擁して圧倒的な強さを見せた2000年代前半のフェラーリなど、少ない例しかない。しかも、V6ターボに始まり、自然吸気のV10、V12でも勝利を収めている。まさに、史上最大の成功例と言ってもいいだろう。

 ホンダに次いでF1に参入したのが、ヤマハ発動機である。1989年にザクスピードにV8エンジンを供給。しかし、信頼性に乏しく、ドライバーとして起用された鈴木亜久里は、全戦予備予選落ちという苦渋と舐める。このヤマハは翌1990年は参戦を一時中止したものの、1991年からブラバムへのエンジン供給として復帰。1992年はジョーダン、1993年からはティレルへエンジンを提供している。我々日本人の記憶に残っているのは、やはり1994年だろうか。片山右京が駆る、白いティレル022・ヤマハが、ウイリアムズやベネトン、そしてフェラーリと混じって上位を走っていたのが印象的だった。

 1991年のティレルに使ったホンダV10エンジンをチューンする形で、1992年から参戦したのが無限だ。鈴木亜久里擁するフットワークに搭載される形でデビューしたが、後年ジョーダンやリジェで優勝するなど、ホンダに次いで成功したパワーユニットとも言える。

 ただこの無限は、独自に開発した自然吸気のV8エンジンを開発していた。実際、レイナードのF3000マシンを改造したシャシーやティレル018の改造版に搭載し、走行テストも行っていたという。“無限ホンダ”のプロジェクトが動き出したことで、無限のV8F1エンジン計画は終了してしまうが、テストではまずまずのタイムで鈴鹿を駆け抜けていたそうだ。


 そして、独自の技術力を用いてF1に挑戦したのが、1990年のスバルである。スバルは、イタリアのモトーリモデルニと共同で水平対向12気筒のF1エンジンを開発。コローニのマシンに搭載され、F1に打って出た。しかし、このプロジェクトはうまく行かず、結局決勝進出を成し遂げることなく(当時のF1は参戦台数が多く、決勝出走を果たせるのは26台のみ。以下は予選落ちとなっていた)、1990年前半のみで撤退することになってしまう。

 ただこのエンジンは、本来はF1参戦用ではなく、スーパースポーツカーに搭載されるために開発されたもの。それが、トントン拍子でF1に積まれることになり、実際に参戦するに至った。いくら1990年代と言えど、F1専用に開発されたエンジンでなければ、ライバルに太刀打ちすることができなかった。

 この他には、チューニングパーツのメーカーとして知られるHKSもF1用のV12エンジンを開発し、1992年にF3000シャシーに搭載して実走テストを行った。当時で650馬力以上の出力を誇ったと言われ、このテスト時にはヨコハマ製の“F1サイズ”タイヤを履いていた。結局HKSのF1エンジンは、数チームからの接触はあったと言われているものの、参戦にこぎ着けることはできなかった。

 多くのメーカーが目的の違いこそあれ、F1エンジンを制作していた1990年代前半。夢にあふれた、非常に良い時代だったと言えるかもしれない。日本製F1エンジンは2009年にトヨタがF1から撤退して以来、長らく不在となっていたが、2015年からはホンダが復帰を果たす。しかも、1980年代〜1990年代に黄金時代を築いた“マクラーレン・ホンダ”として。今からおよそ1か月後、新しい時代の日本製F1エンジンを搭載したマシン“マクラーレンMP4-30”が、我々の眼前に現れることになる。

(オートスポーツweb)


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