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金丸悠のヨーロッパ悠々レーシングライフ 第1回

2015.04.10

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©Yu Kanamaru

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 2014年のF3マカオGP。F1を目指す世界中の若手が集まるこの激戦のレースで、キラリと光る存在感を示した日本人ドライバーがいた。金丸悠、20歳。日本の四輪界ではあまりその名を知られていなかったドライバーだが、カート界では日本人離れした成績を収め、単身ヨーロッパで四輪にステップアップ。2015年は、スペインを中心にF3シャシーを使う『ユーロフォーミュラオープン』というレースで戦う。

 今季、そんな金丸が単身ヨーロッパで戦うドライバーとしての苦労やこぼれ話を中心に、レーシングダイアリーをオートスポーツwebでスタートさせる。F1を目指し戦う20歳の若者の姿から、ヨーロッパのモータースポーツ界の現在が見え隠れするはずだ。そして、金丸に続こうという若者たちにもぜひ御一読いただきたい。

●はじめまして。金丸悠です。
 オートスポーツweb読者の皆さんはじめまして。レーシングドライバーの金丸悠です。今シーズンはこちらのコーナーでコラムを担当させて頂くことになりました。とは言っても、多くの方が僕の事を知らないと思いますので自己紹介からさせてください。



 名前は金丸悠(ユウ)。生年月日は1994年5月13日、東京都世田谷区生まれの現在20歳です。4歳のときにカートを始め、13歳の時に単身渡欧しスイスのアメリカンスクールに通いながらカートレースに参戦。2011年、17歳の時にカートのWSKユーロシリーズKF1クラスに参戦し、第2戦で日本人初優勝を成し遂げました。その2012年からはフォーミュラにステップアップし、今シーズンはスペインのユーロフォーミュラオープンというカテゴリーに参戦しながら、F1ドライバーになるべくヨーロッパを拠点に活動しています。

 このコーナーではそんな僕の経験をもとに……というより実体験そのものから、ヨーロッパでのレース活動や日常生活がどんなものか知っていただけたらと思います。記念すべき第1回は、もう少し詳しい自己紹介を兼ねながら、13歳から現在までの間、僕がヨーロッパで経験してきたことをご紹介します。


●13歳で両親の元を離れヨーロッパに留学
 僕がレースを始めるようになったきっかけ自体は些細なもので、4歳の頃にテレビで見かけたポケバイに憧れ、自分もやりたいと両親に伝えたところ「二輪は危ないから」と、代わりにレーシングカートを探してきてくれたことがはじまりでした。



 5歳の時から筑波にあるカートコースのレースに出始め、小学生の頃にイタリアのカートレースに出場しました。日本と比べてはるかに台数が多くレベルも高いヨーロッパのレースを目の当りにした瞬間、僕はここでレースをすること意外考えられなくなっていました。そして、この時にF1ドライバーになりたいという漠然とした願望が、現実的な目標に変化したと思います。



 ここでレースをして日の丸を上げるにはどうすればよいのか……。そう考えはじめていたところ、父から「世界で勝つにはまず語学だろう。ミハエル・シューマッハーだって4カ国語も5カ国語も喋れるのに。だから留学でもしてみたらいいじゃないか」と切り出され即決。小学校卒業後、ヨーロッパへ単身留学することになりました。

 こうして、スイスにあるアメリカンスクールでの寮生活が始まりました。この学校には50を超える国々から語学学習を目的に、たくさんの生徒が集まります。その時の世界情勢にもよるのですが、イタリアやロシア、ブラジルからの生徒が多かったですね。中にはWikipediaに家族構成が載るくらいのお金持ちの子や、オーストリア王族の血筋をひく子などが在学していました。



 学校へはすぐに入学したわけではなく、事前に『サマープログラム』という夏の約1か月間にわたるお試し留学なるものに参加しました。サマープログラムは午前中に3時間ほどの英語の授業を受け、午後はスポーツなどのアクテビティをしながら過ごすというもので、当時は英語を喋れなかったものの友達も作ることができ、この学校への留学を即決する理由となりました。しかし、いざ入学してみると毎日朝8時から夕方16時までみっちり授業があり、最初の3カ月は結構苦労したものです。ですが、3ヶ月経つと徐々に耳も慣れていき、相手の言っていることがだんだんと分かり、まわりの友人も僕のしつこい質問にも丁寧に答えてくれたおかげで(笑)、生活がどんどん楽しくなっていき、おかげで留学中は一度もホームシックにかかることがなかったです。


●渡欧2シーズン目でカート世界選手権優勝
 そんな授業がみっちりの留学生活の中、レース活動もスタートしました。当時はチームファクトリーへは連絡があった時に行くだけという最低限のもので、トレーニングは学校のジムを使って基本的なものを週4ペースで行っていました。

 マネージメントや難しいことに関しては家族がやり取りをしてくれていましたが、実際の現場でのチームとのやり取りは自分でやらなければいけません。英語ができなかった頃は、拙い英語やスケッチで文字や絵などを書いてコミュニケーションを取っていたのですが、それも半年くらいで問題はなくやりとりができるようになっていきました。チームは僕のように英語が拙いドライバーも含め、いろいろなドライバーを過去に受け持った実績があり、そういう面では馴染みやすかったですね。

 渡欧してから最初のレースシーズンとなった2008年は、イタルスポーツというスウェーデンのチームからWSKインターナショナルシリーズのKF3というカテゴリーに参戦したのですが、結果はボロボロ。今まで日本で培ってきた自信が軽々と打ち砕かれました。

 2年目はWSK-KF2というひとつ上のカテゴリーに、自分の憧れのチームであるトニーカート・レーシングチームから参戦することが叶いました。このチームの本拠地はイタリアにあるのですが、僕が通っていたスイスの学校から1時間ほどで通うができ、それがスイスの学校を選んだ大きな理由でもあったのです。

 しかし念願のチームには入れたものの、残念ながらこの年はチーム自体が不調で、チームメイトのほとんどが予選を突破できないという有様。僕自身の成績も、初戦はチームのエースドライバーよりも上位でレースを終えることができたものの、その後は不振が続き、自信を失いはじめ『次のレースでいい成績が残せなかったら辞めてしまおう』と考えるくらい思い詰めていました。



 そんな状態で迎えたスペインでのシリーズ第6戦。日本人として初めて優勝できました。決勝は7番手スタート。2周でトップに上がり10周以上のバトルを繰り返し、気がつけば優勝していた……。そんなレースでした。表彰台に上り、君が代が聞こえてきたとき、自然と涙が溢れ出てきました。『苦しかった2年間が決して無駄じゃなかったんだ』と心から思えた瞬間でした。

 そしてこの2年後の7月、僕はCIK-FIA世界選手権KF1クラスという、カート最高峰のカテゴリーでも日本人初の優勝を飾ることができました。どんな巡りあわせなのか、その場所はKF2で優勝したときと同じサーキットでした。



 ヨーロッパの地で初めて日本人が勝ったということで、当時は間違いなく話題になったと思います。このことがきっかけで、アジア人でもヨーロッパで勝てるじゃないかと日本以外のアジアの国ドライバーがヨーロッパ参戦を決意したと聞いています。

 他にもまったく知らないヨーロッパの人から賛辞を受けたり、Facebookなどでも世界中から多くのメッセージを貰いました。トニーカートのチームオーナーであるロベルト・ロバッチさんからもアジアでのカートの売れ行きが伸びたと聞きました。そういったことを身をもって知った時、自分がレースをやってきた意味がきちんと形になった気がして素直に嬉しかったです。


●優勝のご褒美は憧れのシューマッハーと一緒に……
 KF2クラスで優勝した2009年の年末には、ラスベガスで行われたSKUSAスーパーカートUSAという、お祭りのようなカートレースにも参加しました。このイベントには、僕の憧れのドライバーでもあるミハエル・シューマッハーさんも出場するとのことで、ロバッチさんからのご褒美として僕も出場させてもらうことになったのです。

 しかも、ロバッチさんはシューマッハーさんと親交があり、僕はシューマッハーさんと同じチームからの出場することができたのです。作業スペースも隣同士。幼いころからシューマッハさんのレースをテレビで観て育ち、いつか僕もこんなドライバーになりたいと思ってレースをしてきたので、そんな素晴らしい機会がもらえるなんて思ってもみませんでした。

 最初にチームテントで見かけたシューマッハーさんは、まるでオーラというものが目に見えるのではないかというくらい輝いていて、僕はしばらくの間テントの中に入ることができませんでした。当時のシューマッハーさんは、一度F1を引退し、翌年再びメルセデスからF1に戻るという時だったのですが、自らの手で車載カメラを付け、走りを分析し、マシンもメカニックではなくほとんどご自身で触っていました。僕はそんなシューマッハーさんのレースに対する姿勢にものすごく刺激を受けました。



 レースでは僅差で優勝を逃し、悔しい結果に終わったのですが、その晩、僕とスタッフ全員とロバッチさん、そしてシューマッハーさんとの会食がありました。そこでロバッチさんが気を利かせてくれて、僕をシューマッハーさんの目の前に座らせてくれたのです。実はその会食の直前に、たまたまホテルのエレベーターでシューマッハーさんと一緒になったのですが、その時、シューマッハーさんがエレベーターの中で踊っているところに遭遇してしまったのです。その時に、フランクにお話していただけたこともあり、会食では緊張せずにお話をすることができました。この時過ごした時間は今でも宝物として残っています。


●今シーズンはチャンピオン獲得が必須目標
 2015年シーズンは昨年同様、ユーロフォーミュラオープンという、スペインのF3にあたるカテゴリーに参戦します。チームも昨年と同じエミリオ・デ・ビロダ・モータースポーツからの参戦になります。

 開幕前のテストも終了し、去る3月7日にはウインターシリーズという、開幕前の前哨戦となるレースがあり、そのレースでは優勝という結果を得ています。シーズンが始まれば当然、ウィンターシリーズの様に簡単にはいかないとは思いますが、テストを通して十分にメニューをこなし、シーズンに入っても迷うことがないようなセッティングも詰めることができています。そんな中でドライビングもしっかりまとめることができた上でトップタイムを出せているので、好調なのは間違いないです。



 他のチームやドライバーが自分をマークしているのは確実なので、そんなプレッシャーを受けつつも気を抜かず丁寧なレースをして勝ち、確実にチャンピオンを獲りたいと思います。

 開幕戦は4月11-12日、スペインのへレスサーキットで行われます。コラム第2回は第2戦のポールリカール戦を終えた頃にお届けする予定ですが、僕の良いレース結果報告も併せてお届けるように頑張りますのでどうぞお楽しみに!

(Yoko Makino)


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